5月29日 御嬢さんの気転が友人の命を救いました。 |
午後、携帯電話が鳴りました。画面には珊瑚会の仲良しメンバーの 名前が。
”T子、ご無沙汰!”元気よく発した私の耳に少しくぐもった男性の声が。失礼しました・・と私が詫びる前に”Fです、これはH子の電話で掛けています。”良く存じ上げているT子(本名はH子ですが、我々珊瑚会のメンバーは学生時代の呼名でT子と呼んでいます)のご主人のFさんでした。
”実はH子、5月15日にくも膜下の手術をしまして、今はかなり落ち着いてきているのですが、T代さんに逢いたい、と言っていますので”との事。
1年半前に御嬢さんのNちゃんがくも膜下で手術を受けられてとても心配していたT子。
私と同じでお産の時以外は入院もしたことのない、到って強健なからだの持ち主でした。
私、この日は用事があるので、前日から1時間の早退をお願いしていましたので、その用事は後日にして、ご主人様に病院をお聞きして駆けつけました。
京阪電車の枚方駅のすぐ近くのK医大病院でした。未だICUの部屋ですが、ご主人様が詰所へ連絡を入れておいて下さいましたので、入室を許可されました。
彼女のBedの傍にはNちゃんが付いていてくれました。
Nちゃんにお出会いするのは彼女の病後初めてでしたが、何の後遺症も無くとてもお元気で今は子供さんの学校のPTAの役員までされているそうです。勿論この病院で手術をされたそうです。私と入れ替わって彼女は帰宅。
T子、手術の跡は痛々しいですが、確りとおしゃべりも出来ますし、私の手を力強く握ってくれるし、少し介助をしてあげると点滴のスタンドを持って一人でトイレにも行けます。Bedを起こして食事も確りと食べることが出来ます。
ご主人様からの電話で一瞬真っ白になってしまった私ですが、目の前のT子を見てホット一安心しました。
Nちゃんの事でくも膜下の事は少し理解できていたとT子。
当日バスで樟葉のショッピングモールへ出かける途中、友人からコンサートのお誘いの電話が掛ってきた時に、急にドスンとした感じになりロレツもおかしくなったそうです。バスを降りてベンチへ座って直ぐにワンボタン指定のNちゃんの所へ電話をされて迎へに来てほしいと言われたそうです。
”今何処にいるの””樟葉のショッピングモールのバス停のベンチ””其処でじっとしていて”気が付いたときには救急車に乗せられてこの病院へ搬送されていたそうです。
電話を受けたNちゃんの気転が、母T子の命を救ったんだと感じました。
Nちゃんはそのショッピングモール(お二人でよく利用されている)のインフォメーションセンターへ電話を掛けて
母が前のベンチで休んでいること→多分くも膜下だと思います→救急車をお願いしてください→枚方市のK医大病院へ搬送してください。これだけの手配をされてご自分もtaxiiで病院へ駆けつけられたそうです。
落ち着いてこれだけの気転を働かす、インフォメーションセンターへ電話することを思いつかれたことに感激しました。
(電話を受けられた店員さんも、よくぞ、疑わずに緊急に対応して下さった事と感謝します)
ご自分も早急な搬送で何の後遺症も無く今を生活しておられますので、この体験から、一刻も早く病院へ・・・と知恵を働かされたんだと感心しました。
本日から一般病棟へ移られると聞いています。個室なので沢山で来ていただいてもOK,うれしいとT子。
メンバーに連絡しました。日曜日には、沢山でT子のお顔を見に行きます。
元気になって、珊瑚会随一、ピカイチのエンターティナー振りを見せてもらいたいものです。
特に是といった前触れ、原因も無く引き起こされるというくも膜下症、今有るわが身の健康に感謝して、毎日を平々坦々と生きていきたいと思いました。
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5月21日(月) 世紀の金環ショー
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左の写真は 、21日朝7時から本社のビルの屋上でK社長様とU君が観測されていたそうですが、その時に腹ばいになってフィルターを付けたカメラで写されたU君の苦心の作品です。
クリックして下さい。大画面でご覧いただけます。私も7時過ぎにはベランダへ出てみましたが、生憎と太陽の位置は北寄りでしたので、部屋から出て、北側のかたの部屋の前でグラスを片手に見つめました。7時28分頃でしたでしょうか、はっきりとリングを確認できましたが、カメラのレンズにフィルターを付けていませんでしたので、何も写っていません。 初心者?どうして写すのか予習をしていませんでした。)
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天文には余り興味のない私でしたが、テレビ・新聞紙上での賑わいに少しは感化を受けまして、
天体ショーを観てみたいと思いました。
礼子さんにお願いしまして 一緒に買って頂きま した。 |
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5月8日 色々と嬉しい贈り物を頂きました。 |
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5月6日(日)
以前長男から”何か欲しい物ない?と電話を貰ったので、昨年貰った”ファイテンの膝サポート”を頼みました。
今年の7月に念願の海外旅行が実現することになりました。
ハイジの山を歩くコースが有りますので、この膝サポーターが欲しかったのです。
”食事と運動と睡眠・・このベストバランスでいつまでも元気なお母さんでいて下さい”のメッセージが付いていました。 |
5月8日(火)
宇和島の友人から素敵な作品が贈られてきました。
沢山の甘夏(可愛い白い花付きの枝も入っていました)
とトレトレのスナップエンドウ(勿論無農薬)。
そして【アンネの木】の絵本 とおとら式部の源氏物語訳本を期待しています・・と書かれたお手紙も入っていました。
作:イレーヌ・コーエン=ジャンカ 絵:マウリツィオクゥアレーロ
訳:石津ちひろ・アンネを見続けたマロニエの木が主人公の絵本です。 |
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5月3日(祝) 五風荘(ごふうそう)食事会と岸和田散策 |
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3月9日に雛御膳のお食事会を企画して下さった美恵ちゃんの計らいで、今回も同じメンバー4人が、岸和田の五風荘で楽しくて美味しい集いを持ちました。案じていたお天気も暑くもなく寒くもなく・・の絶好の散策日和。
ナンバ発10:45のサザン特急の自由席(特急料金なし)に、一番に着いた私がチョット厚かましく3人分の席を確保。すぐに繁ちゃん、玉枝ちゃんも乗り込んで来てさあ、出発です。美恵ちゃんは岸和田駅で合流。そこから一つ目、【蛸地蔵 たこじぞう】駅から歩いて5分で到着です。祝日とあって沢山のお客様でしたが、部屋に入るととっても静かでテーブル式の和風のお部屋を準備して下さっていました。”沢山お部屋が有るのですが、お部屋からお城が見えるのはこのお部屋だけなんですよ・・”と係りの方は丁寧に迎えて下さいました。お食事は【豆乳ゆば鍋】がメインのお昼の懐石料理、すみれ=3000円也。4人ともアルコールはダメなので、食前酢で乾杯。薄味の美味しいお料理で満足満腹。お箸と口が動きっぱなしの2時間。美味しい食事の会にふさわしく笑い声で盛り上がる幼少談議に花が咲きました。繁ちゃんは家庭人ですが、後の二人は手芸を教えておられたり、介護のお仕事をされたりと沢山の趣味を持ちながらも元気いっぱいに生活しておられます。繁ちゃんは家庭菜園が趣味。沢山のお花を楽しんでおられます。
普通におしゃべりしているのですが、暗い話は出てきません。皆さんひまわり思考で明るく楽しく思考回路を働かせておられます。
次回は8月19日(日)箕面にある【風の杜 かぜのもり】と決まりました。私は初めての所です
食事の後、自由にお庭を散策してください・・とのことで庭園ブラリを楽しみました。
【五風荘】岸和田城主、岡部宣勝( おかべのぶかつ)公のお茶屋跡に岸和田の財閥である寺田利吉氏が昭和4年から10カ年の歳月を要して造られた邸宅。正門は奈良東大寺塔頭の表門を移築。岸和田にゆかりの深い楠木氏の【楠】をもじって【南木門】と呼ばれている。利吉氏の称名が五風院で有ることから【五風荘】と変わりました。
2400坪の敷地内には三つのお茶室と回遊式庭園があります。 |
お天気も良いし、薫風も心地よいので、岸和田城→ダンジリ会館→蛸地蔵→旧紀州街道を散策します。
皆は私の足元を気遣ってくれましたが、着物での散策は慣れていますので、是非に・・と実現しました。 |
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【上】南海本線蛸地蔵駅 駅舎
大正14年に築かれた南欧風の駅舎。天井のシャンデリアも趣があるし、壁面には蛸地蔵縁起のステンドグラスがはめられています。 |
【岸和田城】(千亀利城 ちきりじょう
最初の建立者は不明ですが、1597年には豊臣秀吉の臣、小出秀正によって天守のある城郭として整備された。その後、岡宣勝が入城、明治維新までの230年間岡部氏が泉州統治の拠点とした。威容を誇った5層うの天守閣は1827年に雷火で焼失。それ以後長らく再建されずにいたが、郷土への篤い思いを よせる市民の要望から昭和29年に再建。現在では天守閣で結婚式も行われています。
丁度巡り合わせました。笙ひちりきを吹きながら天守閣へと先導されます。白無垢姿のお嫁さん、石段を登るのは観ていてハラハラしました。 |
【下】岸和田ダンジリ会館。1階は岸和田のイベントの花、カーネーションのパネル、小原呉服店、綾子さんの作品のドレスとミシンが、展示されています。ダンジリは2階有料の展示室なのでパス。 |
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一番上、左の2枚。【蛸地蔵天性寺 たこじぞうてんしょうじ】さんは工事中で拝観出来ませんでした。その【縁起】は天正年間、岸和田城は根来・雑賀衆(ねごろ・さいが しゅう)に攻めらて落城寸前であった。その時大蛸に乗った一人の法師と数千の蛸がどこからともなく現れて、敵兵をなぎ倒し城の危機を救った。その数日後城の堀から矢傷、弾傷を無数におった地蔵が発見され、その地蔵は場内で大切に納められました。その後、天性寺に納められて今も手厚く納められています。【蛸断ち】をしてがんを掛けると念願成就。
【本町のまちなみ】江戸時代岸和田城下でもっとも賑わった通りである本瓦葺き、中二階、出格子、虫籠窓(ほんかわらぶき・ちゅうにかい・でごうし・むしこまど)等の伝統的な造りの家並に往時がしのばれます。歴史の道に相応しい景観をを守るために、地元住民が頑張っている。【手づくり郷土賞】を受賞している。
一番上の右端の建物は現在も医院として開業されています。
下左=お寺の屋根にとっても大きなバラの大輪が咲いたような瓦を見つけました。
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岸和田商店街に着きました。
NHKの朝ドラ【カーネーション】のおかげで、人集めと経済効果がかなり有ったのでしょう。 どこに行ってもピンクの旗がはためいています。
美恵ちゃんは来たことがあるので・・・と入口のイスで休憩。
(私もテレビは観ていないのでどんなミシンを使っておられたとか、部屋の大きさはどうだったとか・・とくに興味は有りませんが、見たがりやさんなので、二階へ上りました。】階段の急な事、狭いこと昔通りでしょうが、新しい木材なので滑ることも有りませんでした。) |
家を10時に出て、帰宅は18時30分。食後の運動には丁度良い加減の3時間の散策でした。紀州街道のまちなみ、人通りも殆どないし、もちろん車の規制が有るのか?一台も通る事は有りませんでした。本街道から一本離れただけでこんなにも素敵な世界を堪能させて貰えたこと、何度か通ったことがあると仰っていた美恵ちゃんに有難うです。 |
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4月28日 チヨット早めのプレゼント
香ちゃんから、ブリザーブドフラワーをアレンジした素敵な花時計を貰いました。
写真では上手く色が出ていないのですがオレンジのバラと黄色のバラそして淡い黄色のリボンを主材にグリーンリーフがあしらわれています。
背景は美しい黄色と萌黄いろの包み紙を折り紙のようにしてみましたが、黄色が綺麗に出ていません。
置時計にも壁掛けにも出来ます。
今は主人の前に飾ってみせびらかせています。 |
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4月13日 杭全神社御鎮座 千百五十年大祭 |
3月の初め、杭全神社から、一通の封書が届きました。我が社は、機械の設置や会社の移転の時に、お祓いを受けたり神社会費を納めたりお祭りの時に寄付をさせて貰うくらいのお付き合いだけで、私自身未だ行ったことが有りませんでした。
【杭全神社御鎮座大祭】のご案内でした。
13日:pm6:00~お田植え神事・薪能(おたうえ しんじ・たきぎのう)
14日:終日 だんじり囃子・民謡・河内音頭・インド民謡・舞楽
15日:11:00~記念大祭・雅楽・白拍子舞・琴、バイオリン協奏・弦楽合奏
【薪能】興味は有りましたが未だ見たことがなかったので、玉枝ちゃんを誘って出かけました。
生憎の雨、傘をさしながらの見物で、体も靴もかなり濡れましたが、舞台のほうも関係者の方が何度もこまめにモップを掛けられたりタオルで拭きとったり・・・と大変でした。
演者の方の足袋はきっとかなり雨水が染み込んでいたと思われます。謡いの方の座布団も雨が染み込んでいたようです。
時折傘をたたむことも有りましたが、余りの冷えに最後までよう見ないで帰りました。
お天気が良ければ・・・残念でした。 |
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【翁 おきな】神楽式 かぐらしき。(金春流 こんぱるりゅう)能楽のようなストーリーはなく、天下泰平・国土安穏を祈念して神前で直面(ひためん 素顔)で舞う神楽ですが、今回は杭全神社所蔵の翁面が使われました。
神への奉納ですので、見物席にはほんのチョットだけしか正面を向くシーンありません。シャッターチャンスが難しいです。
【お田植え神事】【仕舞】観世流三人の人が裃で舞われます。最初の人は女性、二番目は青年そして三人目は堂々の男性でした。撒きませえ幸せの種子を~~で見物席へ沢山のモミが撒かれました。前から2列目のイスに座っていた私。撒かれるシーンを撮るよりも、モミを拾うのに一生懸命になりました。 |
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【能楽 田村】未だ都に行ったことのない東国の僧(ワキ)が清水寺に着くと満開の桜の下を清める不思議な少年(前シテ)に声を掛け、この寺の由緒を尋ねる。大同二年に坂上田村麿がこの寺の檀那(寄進者)となって建立したと話す。
夜になって僧が経を読むと田村麿の霊(後シテ)が現れ、鈴鹿山の鬼神を退治出来たのも当寺の千手観音の加護のおかげであると桓武天皇の命を受け退治するまでの当時の有様をお話しする。
平安初期、田村麿の二男廣野麿が桓武天皇の御宇にて杭全庄を拓いたとされ、今から1150年前に当神社を建立した。
神社内には【田村社(田村堂)】もあり、毎年5月23日に【田村祭】が子孫の坂上七名家によって行われている。
一昨年より、【田村麿顕彰】として、ゆかりの【能 田村】を上演し地域活性を図る普及活動も実施されている。 |
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4月8日 叔母の満中陰、納骨 |
お雛様を片づけて、五月人形を飾りました。
木目込み人形の【弓名人】【兜の手まり】、うれしいです。 |
2月21日に亡くなったひーこちゃんの叔母ちゃんの満中陰にお参りしました。
、私も 含め正座が出来ない人が多いのですぐ近くにある地区の会館で営まれました。
勤行が終わった後、環状線桃谷駅前の”がんこ寿司”で会食。
そのあと、桜満開の一心寺へ納骨に行きました。
叔父もこのお寺で永代供養をしてもらっているそうです。
私の実家は阿倍野斎場に墓地がありますので、一心寺へお参りすることは有りませんでした。
お釈迦様のお誕生日で桜も満開の好天。おばちゃんは良い日に納められました。 |
納骨に来られた人、永代供養の手続きをされる人、善男善女のお参りされる方が沢山いらっしゃいました。
帰りに、すぐ横にある、干支12神をお祭りしてある会館を教えてもらってパチリしました。(撮影OKでした)
この写真は、カメラを持って行ってなかったので、携帯で写しました。かなり綺麗に映っていました。 |
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3月14日 ホワイト DAY |
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2月14日、今年のバレンタインdayには、時々愛用している北海道のルタオ(小樽にあります)のチョコレートをプレゼントしました。
お返しとして、左から、クッキーとタオルハンカチ・クッキーセット、チョコレート菓子、お得意様の営業さんから頂きました。 |
歯医者さんの月1度の定期検診が丁度2月14日でしたので、チョコット・チョコレートをプレゼントしました。
お返しとして、口中チェックのオーラルミラー、舌ブラシそして初めてのお味、レモンティ味の歯磨き剤を頂きました。 |
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3月9日 食事会 |
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A先附け・前菜:
桃花の羊羹・ふくさ玉子・蕗のごまみそ和え
おちょぼ百合根・れんげ菜種・さよりの手毬寿司
B造り:
鯛 =わさびと柚子ドレッシングで頂きます
大根の飾りかつら剝き(まるで小たまねぎの輪切り?と見まごう)
C御膳:
焼き物=サーモン白酒焼き(卵白を入れて泡立ててある)
あい肴=白魚の錦揚げ(レモンと塩で頂きます)
煮物=穴子豆腐東寺巻・手まり南瓜・若ごぼう・メレンゲこし餡入り饅頭・焼き筍の木の芽味噌(切り目が入っていて食べやすくなっています)
Dご飯:
海老・椎茸・きぬさや・木の芽・錦糸卵の散らし寿司。
止め椀=なめこの合わせみそ仕立て
Eデザート:
イチゴ・オレンジのフレッシュジュレ・コーヒー |
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企画部長、美恵ちゃんのお誘いで、玉枝ちゃん(このお二人とは2011・9・11に杉の五兵衛で食事会をしています)そして初めての参加の繁ちゃん(小・中・高と同じ学校でした)との4人で近鉄電車奈良線富雄駅より徒歩5分?の【百楽荘】でお昼の食事会をしました。
あいにくの雨でしたので、学園前まで急行で行って、TAXIを利用しました。
とっても広い御庭、桜・もみじの季節はそれはそれは見事だそうですが、今年は梅の開花が遅れていてまだ見ることは出来ませんでした。でも美しく飾られた立派な雛飾りに満足しました。
お食事もどれも可愛い一品揃いで、お味も私の口にはちょうど良い加減でおいしく頂きました。
古希を過ぎた昔の乙女が○○ちゃん、と呼び合っておいしい物を頂きながら楽しいおしゃべりをして・・・
アット言う間に既定の2時間は過ぎました。
これからも博学で行動半径の広い美恵ちゃんに企画して貰って四季折々に、食事会・散策をして行こうと盛り上がりました。
4人の日程の調節が上手くいき次第、5月のイベントの企画を進めて下さっています。 |
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2月22日 姫子叔母葬儀 |
故 姉、廣澤喜久栄 ひろさわきくえ
1913年6月24日生まれ(丑年)
(夫=1904年生まれ、9歳年長の従兄)
2009年12月20日亡 享年満96歳6か月
1929年1931年1934年1936年1939年1941年
の3男3女。子供は姉と私の二人しか残っていません。 |
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故 妹、中西姫子 なかにしひめこ
1915年8月生まれ(卯年)
(夫=1902年生まれ 13歳年長)
2012年2月21日亡 享年 満96歳6か月
1942年1943年1946年1949年1952年の
2男3女。子供は二男以外4人存命です。
私は【ひいこちゃんの叔母ちゃん】と呼んでいました。 |
喜久栄母=ひいこちゃんは、いつもピーピー泣いてばかりの泣き虫。 姫子叔母=喜久栄姉ちゃんはイケズばかりして、すぐ泣かす。
母と叔母は幼いときは、手広く硝子工場を営んでいた 父親の許で何不自由のない名前通りの御姫様のような姉妹だったそうです。
所が父親の派手な遊びと不況から、商売は一転、娘二人を連れて、継母と4人で博多へ夜逃げ同様に落ち延びたそうです。
見知らぬ土地で母が尋常小学校3年叔母が1年生で新しい学校へ。気の強い母はすぐに馴染んだそうですが、叔母は母の陰に隠れてコソコソと付いて行っていたとか。気風 (キップ)は良いけれど人情もろくてすぐ泣く・・・そんな叔母が大好きでした。
末っ子の私、20分も歩けば叔母の家に行けます。一番上の従妹は学年は同じですが、他の4人はみな私より年少。
其処へ行けば、チョットえらそうに、お姉ちゃんぶれます。
それがうれしくて良く子守に行きました。
2008年、母が入所していたさくらら苑へ叔母も入所でき、叔母は母のことをよく気にかけてくれました。
母が亡くなった時、職員の方々が気にかけて下さって知らせないようにして下さっていましたが、知った後も少し落ち込みが続いたそうですが、時折訪ねると、喜んで昔々の話をしてくれました。(でも今日、従弟妹達と話しましたが、博多へ夜逃げした話は勿論、子供の時の話は叔母から聞いていないそうでした)
昨年お盆休みの時に叔母を訪ねました。
おばちゃん=友ちゃん、もう姉ちゃんと同じ年になった。目もほとんど見づらくなったし、そこここが痛くなってくるし・・ハヨ姉ちゃんの所へ行きたいわ。
友代=おばちゃん、お母ちゃんは96歳と6カ月やで、おばちゃん、96歳になったばかりやろ、来年の2月にならんと、お母ちゃんと同じとちゃうで。其れまでは頑張ってもらわんと・・
おばちゃん=9月19日敬老会やねん、高齢のお祝いをくれはるねんて。用事がなかったら、来てや・・・
友代=ウン行く。 と約束しました。
生憎と他に用事が出来てしまい、よう訪ねませんでした。
そのまま、気になりながらもホームへはよう訪ねませんでした。12月になってもう一人の民子叔母(異父妹)から、姫子叔母が半分脳死状態になって入院しているねんけど、友ちゃん知っている?・・と電話がありました。
ビックリして従妹に電話をして、”叔母が、脳死状態で9月17日から、母が入院していた同じ八木脳神経病院にいる事、もう何の治療も出来ないけれど、自力呼吸が出来ているので、このまま、様子を見るしかない”のだと聞かされました。
お正月休みに病院へ行きました。ニュージーランド旅行の時に、母とお揃いの大きなひざかけをお土産にしていました。
病院で叔母ちゃんはそのケットを布団の上に掛けていました。まるで母が寝ているのでは・・と思うほどによく似た顔をして、スースーと気持ち良さそうに眠っていました。
昨日2月21日容態が急変して、永久の眠りに着いたと従妹から電話が入りました。
子供達と孫・ひ孫だけの本当に内輪だけの家族葬。民子おばちゃんと私も参列しました。
喪主の従弟”お母ちゃんは、何の財産も残してくれなかったけれど、愛情を一杯残してくれた”と笑顔で言っていました。
向こうではお母ちゃんにイケズされないように、叔母ちゃんもがんばりや・・・ |
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2月18日 吉野の郷に 降れる 白雪 |
前日に お花も買って墓参の準備は出来ましたが、すごい冷え込みと吉野地方の天気予報を見た娘から、中止にしたら・・・
と電話が入りました。昨年同様、今年も2月の墓参は中止?と思いましたが、”明日の朝のお天気次第で・・”と返事をしました。
大阪の朝はお日さまも出ていて良いお天気でした。部屋の中から見る限りではそれほど寒そうにもありません。
吉野町役場へ電話を掛けて、バスの運行状況を聞きましたら、雪は川上村の方だけで、通常に運行しているとのお返事。
大和上市駅へ着くまでは雪の気配はなし。ところがお墓に近づくにつれて、雪が舞い始めました。
吉野山も雪に煙ってぼ~~っとしか見えません。境内の橙も雪を被っています。義弟宅のきれいな寄せ植えの鉢にも雪が一杯です。
トンネルの入口は雪がハッキリ写ります。早々に大阪へ戻りました。 |
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2月17日 今年もお雛飾りを 出しました。 |
今日から、又最大級の寒波が押し寄せてくるらしい・・・
明日は墓参を計画していますが、雪降りの一日になるかもしれません。
去年の2月11日も大雪で墓参が中止になりましたが、今年はどうなるでしょうか?
寒さを吹っ飛ばす願いも込めて恒例の雛飾りを出しました。桃・菜の花・麦穂。
暖かい春を呼び込みましょう。 |
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2月12日 台所仕事が嫌いな訳では有りませんが。 |
シンク台の高さが私に合っていないのか、最初からマンションに設備されていたもので、長く立っていると腰が痛くなってきます。
かなり以前に、生協でおなかに当てるクッション(腰らっく=JPCにもあります)を買ったり、片足を15センチ程高く上げるのが疲れないと教えて頂き、試してみましたが、どうにも良くありません。
年末には椅子式のチョット大きな食卓を買って、狭い台所が窮屈になりましたが、食事以外にも便利に使えて、とっても嬉しく重宝しています。今日、「ガス圧昇式キッチンチェアー」を買いました。イスの高さはレバーで調節出来ます。これで、顔をしかめ乍ではなくて、鼻歌気分で台所仕事が出来る様になれば・・・又狭くなりましたね・・・・ |
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2月9日 宇和島から、作品が送られてきました |
寒さが厳しい【白浜カントリー】からの宅急便が届きました。
ガムテープをめくると、美味しい香りが・・・
お酒を飲みながら書いてくれたのか、”おとらちゃん殿”と大きな文字。
上から、ポンカン・イヨカン・ブンタンです・・と説明書きが。主人に宇和島の香りを楽しんで貰っています。
甘すぎず、とってもジューシーで優しいお味で美味しく頂きました。 |
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