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2012年の観劇

12月22日(土)年末恒例 【顔見世】

今年も敦子さんのお手配で顔見世のチケットを取って頂きました。
今回は【六代目中村勘九郎襲名披露】があるので、それを観たいのでいつもと違って夜の部を観る事にしました。
夜の部は16時開場ですので早い目に京都に着いてブラブラ散策を・・と言うことで11時に天満橋で待ち合わせました。
南座へ直行の時は京阪電車【祇園四条駅】で下車ですが、敦子さんのお譲さまがお勧めの【楽紙館】へ行く為に【三条駅】で下車。
【楽紙館  らくしかん】三条駅からtaxiで10分ほどの中京区蛸薬師通り高倉にある和紙専門店【楽紙館】へ到着。
4階は紙すきイベント体験場、この日はイベントが有りませんでしたので、3階まで。
小物ははがき、一筆箋からふすま紙まで多種多様の和紙が丁寧に引き出しに入れられて展示されています。
和紙で作られた人形も沢山展示されています。数点を写していますが・・真っ白の和紙で折られた【共白髪の高砂】とっても素晴らしかったのですが、硝子ケース越しでは綺麗に写せませんでした。(;一_一)
たっぷり時間が有りましたので敦子さんも私もゆったりと1階から2階、3階とお気に入りの和紙を買い求めました。
私は食卓兼用のテーブルに敷く70センチ×95センチサイズのぼかしの和紙2枚と小物数点を買い求めました。
十分とは言えないまでもかなり堪能させてもらえました。
テレビでしか知らない【錦市場 にしきいちば】も歩きました。大賑わいでした。
【顔見世】お席は縁起の良い3階の1列11番。(主人の誕生日1月11日と同じ1並びの一番前のお席でした)
大好きだった勘三郎さんの逝去で、泣くく事を覚悟で私は大きなガーゼのタオルを準備、敦子さんも大ブリなタオルハンカチを準備しておられました。
【仮名手本忠臣蔵 かなでほんちゅうしんぐら】仁左衛門さんの勘平と時蔵さんの女房お軽
勘平を赤穂義士の一員にさせる為に必要なお金を作ろうと身売りをするお軽。
そのお金を懐に夜道を家路をへと急ぐ義父。山賊の定九郎(橋之助)は懐を狙って義父を刀で殺し谷底へと蹴落とす。
狩に出ていた勘平はイノシシと思って撃ったのが夜道の暗さで分からなかったが、どうも人の様である。
顔は分からないままに懐にズシリと手ごたえを感じてそのまま、家に持ち帰る。お軽を迎えにきた茶屋の女将。前金の50両を自分の着物の残り布で作った財布に入れて義父さんに渡したと言う。
そこへ戸板に乗せられた義父の遺体が村人にかつがれて届けられる。
勘平は自分が手にした財布が女将の言った財布と同じなのでビックリする。自分が鉄砲で撃ったのは義父でその懐から、愛妻、お軽が身売りしたお金を盗んで義士の仲間に加えて貰おうとしたんだ・・と刀を腹に。そこへ村の人が鉄砲で撃たれた山賊の定九郎が見つかった・・と知らせに来る。
義父の傷は刀傷。では勘平が猪と間違って撃ったのは定九郎で義父の仇打ちをしていたことになる。
のだが、義士に抱きかかえながら血判を押した勘平は息を引き取る。
何度も観ている演目で筋書きは分かっていても毎度感極まってホロリとさせられます。
仁左衛門さんの勘平、とってもいなせで綺麗し、時蔵さんのお軽は相変わらずの美形で素敵でした。
【六代目 中村勘九郎襲名披露 口上】
幕が開く前から嗚咽状態の私でした。
(チケットをお願いした時から、襲名の時に父親、勘三郎さんは病気療養中だからが不在だとは分かっていましたが、まさか勘三郎さんが旅立たれるとは夢にも思っていなかっただけに、つらい可愛そうな舞台、チョット怖い気持ちも有りました。)
人間国宝の坂田藤十郎さんが父親代わりに勘九郎さんの右側横で温かく見つめておられ懐から口上書きを取り出されて丁寧に読み上げられました。
左側には父親から兄を確りサポトするように・・と言われたと挨拶された弟の七之助さん。
壇上に並ばれた先輩の皆さんが大きな支えを亡くされた勘九郎さんを力強い言葉で励まされているのを拝見して涙が止まりませんでした。
勘九郎さんの確りとした決意の口上、これからも益々芸道を精進されて人間的にも役者としても大きく成長されるされる事を信じて応援して行きたいと思います。
【船弁慶 ふなべんけい】
都落ちしていく義経(坂田藤十郎)に何処までも付いていきたいと願う静御前(勘九郎)。
道中の不穏を弁慶(団十郎休演の為橋之助が代役)に諌められて別れの舞をまって義経一行を見送る。
壇ノ浦で源氏に敗れた平家の御曹司、平 知盛(たいらのとももり)の霊(勘九郎)は義経、弁慶に挑んでいくが弁慶の祈りの力で説伏 しゃくふく される。知盛の霊が花道を出たり入ったりするのですが、まるで父君の霊が確りと支えておられるような凄いスピードで重たい衣装を付けて後ろ向きに花道を下がられる演技には、敦子さんが言われた言葉ですが、勘三郎さんのご守護の力を感じました。
凄い演技をみせてもらいました、タオルはグショグショでした。七之助さんも舟子 ふなこ の役(舟を漕ぐ役)を美しく踊って居られました。
*舟弁慶の画像は、NET検索して借用しました。
【関取千両」幟 せきとりせんりょうのぼり】
前の演目でPOWERを消耗したのと興奮状態が続いていたのと、日にちが経ってしまったので覚えていません。 (;一_一)
9月30日 シネマ歌舞伎【籠釣瓶花街酔醒 かごつるべさとのえいざめ】 ナンバパークスシネマ
【あらすじ】
上州佐野の絹商人、佐野次郎左衛門(中村勘三郎)と下男の治六(中村勘九郎)は、江戸で商いをした帰りに、話の種にと桜も美しい吉原へやってきます。初めて見る華やかな吉原の風情に驚き、念願の花魁道中も見ていよいよ帰ろうとするところへ、吉原一の花魁、八ツ橋(玉三郎)の道中と遭遇します。この世のものとは思えないほど美しい八ツ橋に次郎左衛門は魂を奪われてしまいます。それから半年、あばた顔の田舎者ながら人柄も気前も良い次郎左衛門は、江戸に来る度に八ツ橋のもとへ通い、遂には身請け話も出始めます。しかし八ツ橋には繁山栄之丞(仁左衛門)という情夫がおり、身請け話に怒った栄之丞は次郎左衛門との縁切りを迫ります。
それを知らない次郎左衛門は八ツ橋を身請けしようと同業の商人を連れて吉原へやってきますが、浮かぬ顔をした八ツ橋に突然愛想づかしをされ、恥をかきうちひしがれて帰っていきます。
それから四ヶ月が過ぎ、次郎左衛門は再び吉原に現れ、わだかまりなく振舞いますが・・・この後のどんでん返しは。
【観終わって】
T子ちゃんの御主人Kさんは歌舞伎に興味があるんだけれど、未だ行ったことがないので、是非機会が有れば連れて行って欲しいとのことで、まず最初はシネマ歌舞伎から・・・と3人で行くことに。
生憎、台風17号が来ると予報が有ったのでどうなる事かと不安も有りましたが、家を出る時は小雨・少し弱い風で、大したことが有りませんでしたが、T子ちゃん達は奈良からですのでチョット心配でしたが、無事約束の11:45に高島屋の前で落ち合い、ナンバパークスへ。
前売り券を購入していましたので2000円が1800円に。
2時間強の映画、勘三郎さん、玉三郎さん、仁左衛門さんの豪華な顔ぶれ。
普通では実現できないキャストでしょうが、東京の歌舞伎座さよなら公演で実現したものをシネマ化したものです。
昨年の顔見せで観た 【お江戸土産】(田舎から反物を売りに来た二人のおばさんが、役者に一目惚れ、身ぐるみをはたいて一夜の夢に酔いしれる)とよく似たあらすじですが、
花魁に情夫がいたことを知らないですっかりのぼせていた次郎左衛は見請けの話が成立するその日に田舎の知り合いに良い所を見せようと座敷に上がって花魁を待ちます。
そこへ女将(片岡秀太郎)に引っ張られてきた八ツ橋は次郎左衛門に見請けの話は無かったことに・・・と断りの話をします。
万座の中で恥をかかされた次郎左衛門、”我が主人の誠意をもてあそんだか・・・”と怒り狂う手代をなだめてしおしおと故郷へ帰ります。
それから四カ月、大きな掛け軸でも入っているのかなあ・・・と思わせるような箱(後で分かりますが、中身は刀)を持って、にこやかな笑顔で元気を装って座敷へ上がった次郎左衛門、懐かしがって座敷へ集まった女将や皆さんに花代をわたして機嫌よくお酒を飲んでいます。
そこへ女将に連れられた花魁八ツ橋が現れます。
“皆さん、積もる話をしたいので、しばらく花魁と二人にして下さい”と次郎左衛門は人払いをします。
一気に形相が変わり、恨みつらみを述べて持ち込んだ刀で花魁に切りつけます。
顔中、あばたつくりをした勘三郎さんの次郎左衛門、玉三郎さんの美し過ぎる花魁八ツ橋、仁左衛門さんのニヒルな情夫栄之丞。
とっても観応えがありました。
でお二人さんの感想は・・・Kさんは古典歌舞伎特に【勧進帳】を観たいのでその機会が有れば是非誘って欲しい、でT子ちゃんは、オペラのほうが合っているので今回限りで・・でも主人は是非誘ってやって・・とのこと、ピアノの先生のT子ちゃんには歌舞伎の世界には興味がなさそうです。
画像は、NET検索して拝借しました。ナンバウオークで用事を済ませて帰宅したのが6:00過ぎ、傘もいらない程度の小雨でした。
映画を観て食事をして奈良へ帰られる二人と別れて2時間ほど地下街で用事を済ませていた間に台風は通過してくれました。
9月8日 【毎日がアルツハイマー】 十三 第七芸術劇場
YouTubeで20万人が観た超人気動画が劇場公開版として完成された女性監督【関口 祐加】さんが、自身の母”ひろこさん”のアルツハイマーの毎日を明るく描かれた作品です。
(私はYouTubeそのものを見たことがありませんので知りませんでした)
初めて知り合いの先生の所へ母 ひろこさんを連れて行かれた監督さん、脳のレントゲンのフィルムに現れた【白質脳変】で、ひろこさんは初期のアルツハイマーと診断されます。
オーストラリアに移住して29年の監督が、息子を残し、帰国して母の許へ帰り同居して介護しながら、監督の性 (さが)もあるのでしょう、カメラを回された作品です。
上の階に住んでおられる監督の妹さんのお嬢ちゃん、ここちゃん。おばあちゃんに真正面から向き合って、自分の感じるまま、観るままを正直におばあちゃんに話します。娘の監督の言うことには、反発したり、返事をしなかったりと拒否的な態度をとるひろこさんも、お孫ちゃんには優しい目で素直に聞き入れます。認知症の初期、まだらぼけの時にも、本人の尊厳を尊重し、て特に”尿失禁”については本人が自分ながらに処理しているのを受け入れて見守る。トイレットペーパーの減り方が激しくなった時、それはひろこさんが、自分ながらにペーパーで尿パットの様な物を作って使っていたそうです。尿パット、尿ショーツは本人の尊厳を一番先に傷つけるので、見守る人は十分に心すべきであると感じました。
【此岸と彼岸 しがんとひがん】仏教用語ですが、当人をこちらの思う正常な世界の方(此岸)へ引き戻そうとしないで、相手の世界(彼岸)へ入って行く、寄り添って行くのが大切だと描かれています。
認知症=多幸症とも受け取られます。 自分の失敗や嫌な事も覚えていないで忘れることは、有る面幸せな事です。
又、閉じこもりを解決しようと外へ連れ出そうと努力しても本人が嫌がる場合には、お医者さまや、地域の福祉の方に相談して、そちらから、家へ訪ねて来てもらう方法も考えてみること、頑張らないで40〜60点の介護で良しとする決して一人で抱え込まない、のめり込まないで外へ助けを求める。上映後、1時間ほど監督さんのお話、質疑応答の時間が有りましたが、”大阪の笑いの心得を持っている人は、きっと上手な介護をされると思いますよ、この時間の皆さんのお話しぶりを聞いていて、私は確信しました”と言って頂きました。
【観終わって】
グループホームで介護のお仕事をしている友人が、ホームに掲示されていたパンフレットを見て、一緒に行かないかと誘ってくれました。
大阪に住んで71年、乗り換え駅としては知っていますが、実際に下車したのは初めての【阪急 十三】。駅前からとっても賑やかな商店街、夜には独特のムード漂う街だとか。 劇場も古い建物で、収容員96名の小さい劇場です。メジャーな映画ではなく、マイナーでも話題のある映画を上映する映画館です。
関口祐加監督(せきぐちゆうか  50代後半?)はとってもパワフルで気さくなおばちゃんタイプ
今までにも【戦場の女性】を始め4作の作品が有るそうです。。今後もこのひろこ母さんを見守りながら、監督のさがとしてカメラを回し続けると笑顔で話しておられました。笑顔が多いひろこさん、新聞も良く読まれるし、オースラリアにいる監督の息子さんの英語もチョコットだけ理解されるし、監督の作品をパソコンの画面で観るのは目がチカチカすると拒否するのに、オ―ストラリアのお孫ちゃんがバースデイのお祝いに、とピアノ演奏をしてくれた画像をパソコンで見ながら、涙ぐまれる・・これからも可愛いお孫ちゃんには心を開き、監督の娘さんとは時にはけんかもしながらもおばあちゃんの沢山の笑顔を又見られる続きを見たい!!一緒に観た人の感想の結論でした。
お風呂嫌いで何カ月も入らなくても、強要しない、訪問看護の方が来られて、おばあちゃんの尊厳を壊さない様に笑顔で対面されて体の状態を見られた時、足の爪が、鷲の嘴さながら、数センチも伸びていて、切った爪が新聞紙一杯になった時には、あきれるのと同時に、此処までになっていて、痛くなかったんだろうか・・・と笑顔のひろこさんを不思議に感じました。
8月5日 裕次郎の夢 【黒部の太陽】 南御堂会館大ホール
【石原裕次郎が贈る、最後の全国上映会 ”黒部の太陽”】
6月29日の朝日新聞でみつけた記事に、舞いあがってしまい、新聞に書かれている方法で、パソコンからの申し込み、初めて、ファミリーマートのイープラスでチケットを受け取る経験もしました。親友の玉枝ちゃんを誘って出掛けました。裕ちゃん大好きで殆どの映画を観ていた20代の頃の私でした。
太陽の季節、狂った果実、嵐を呼ぶ男、文学作品の乳母車、陽のあたる坂道の誠純な青年も好きな作品の一つでした。
【黒部の太陽】は1968年、裕次郎33才の作品、何故か私は観損なっていました。
独立プロでの撮影、一社では壮大な規模の映画作りは無理、民芸の宇野重吉さんの支援も頂きながら、同じ独立プロの先輩、三船敏郎の同意を得て”三船・石原プロ共同作品”として半年間の撮影期間の許完成したヒューマンドキュメンタリー作品です。
【あらすじ】電気力をもっと増やす為に、と関西電力が開発を計画したのは【黒部ダム】の建設。
この建設の実現の為には、先ず建設用材、人員を運ぶための道路工事が先決、即ち、日本の中心【糸魚川〜静岡】ラインのある日本アルプスのフォッサマグナ=破砕帯を貫通させてトンネルを掘らねばならない世紀の難工事を完成させること。
古いタイプの土建屋の親方(辰巳柳太郎)の父に反発して今ふうの建設デザインの仕事をする岩岡(裕次郎)。
破砕帯を掘る危険、組み立てた木組みの枠が湧き出る水に潰されたり、思わぬガスの噴出で仲間が死ぬこともある。
そんな現場で破砕帯を通す為に唯々トンネルを掘り続ける工夫。父親のやり方と反発しながらも、実際に自分も現場に入り先頭に立ってトンネル堀りをする岩岡。危険な工事に家族からの呼び戻しも増えて、逃げ出して故郷へ帰る人も出てくる。壁に耳を当て、貫通の気配を感じて最後の一堀りをする岩岡。1956年に着工1963年に黒部ダムは完成します。
【観終わって】
最後の一堀りで貫通した時、声を押し殺そうと頑張りましたが、体が震える位に泣いてしまいました。
宇野重吉さんと寺尾聡さん父子の競演、出演者の殆どの人は鬼界に入っておられます、懐かしいお顔にも出会えました。
黒部ダム、私は未だ行ったことがありません。こんな危険と隣り合わせの工事の許に出来上がったことを感じながら、いつの日か行ってみたいと思いました。
7月8日(日)七月大歌舞伎  大阪松竹座
今回のメインは、父、中村歌昇改め【三代目 中村 又五郎】長男、中村種太郎改め【四代目 中村 歌昇】の父子襲名披露です。
TVでは観たことが有りますが、実際に舞台上で行われる【口上 こうじょう】を見るのは初めてです。
大好きな片岡仁左衛門さん、しぶい中村吉右衛門さん、若手の人気者市川染五郎さんと興味深い出演者です。
【義経千本桜】以前にも観たことがある演目ですが、今回は吉右衛門さんが演じられる平知盛が、安徳天皇の守護を義経に願い、大碇の綱を体に結わえて、その碇と共に海中に身を沈める壮絶さ、背中から海中に落ち込んで行くさま、は最大の見せ場でした。
【口上】仁左衛門、吉右衛門初め今回の歌舞伎に出演される役者の方々が、今回襲名される【又五郎、歌昇】父子を中心に黒紋付袴の正装で舞台に居並び、夫々にお祝いの言葉を述べる、祝い行事です。吉右衛門率いる播磨屋一門の襲名とあって、襲名の二人の直ぐ右横には吉右衛門さん、仁左衛門さんは上座,舞台右端に座って楽しいエピソードを混えて、お祝いの言葉を述べられました。
【吉野山】この演目も観たことが有ります。初音と名付けられた鼓。親狐の皮で作られた事を知った子狐は忠信に化けて静御前のお伴をする。今回は、静御前を追う役人、早見藤太の道化役に仁左衛門さんが扮しコッケイを演じられました
【河内山 こうちやま】お数寄屋 坊主の河内山宗俊(おすきやぼうず.=江戸城で将軍や重役、登城した大名たちを世話し、お茶調度 を整え、お茶をふるまったりするのが御坊主衆(おぼうずしゅう。お坊主、お茶坊主、茶道坊主※1などとも いう)という役職の人々です)
上州屋の娘、ふじが行儀見習いとして松江家に奉公にあがり、当主出雲守(歌昇)に見染められますが、その申し出を拒否した為に幽閉されてしまいます。金銭目当てに娘を連れ戻す事を請け負った河内山宗俊(市川 染五郎)。
徳川家の菩提寺【上野 寛永寺】 の使僧を装い松江家を訪れ、数寄屋坊主の身分をたてに、”老中へ言上すれば、お家取りつぶしも御覚悟を!!”と脅迫的な直談判、娘を連れ戻すことに成功したように・・・みえたのですが、邸を出るときにお重役、北村大膳に正体を見破られますが、開き直って、見事な啖呵で松江侯をやっつけ悠々と帰って行くのでした。
【観終わって】あらすじは知っていましたが、舞台で観るのは初めてだったので、楽しみにしていました。
染五郎の宗俊は少し、線が細く感じましたが、高貴な色気をかんじさせる、お数寄屋坊主のふんいきを見事に演じていたように感じました。
6月24日(日) 坂東玉三郎特別公演   京都南座
【壇ノ浦 兜軍記 だんのうらかぶとぐんき】
全盛を誇った平家一門は、壇ノ浦合戦で滅亡。 源頼朝を討とうとして失敗、行方をくらました、平家の侍大将景清の行方を詮議する為に、堀川御所のお白州に引き出された、景清の恋人の遊君(ゆうくん 位の高いおいらん)、阿古屋(あこや 玉三郎
代官、岩永左衛門(坂東薪車)=赤ら顔(よこしまな心を持っている)は人形振りの大仰な演技で阿古屋を責める。(この文楽の人形振りがとっても面白い)。もう一人の代官、重忠(片岡愛之助)は事を分けて阿古屋に問いただす。その温情に感謝しながらも、自分は真実行方を知らないと申し開きをする。責め道具を使うと息巻く岩永左衛門
重忠
は三つの楽器を運びこませて、阿古屋に奏ずる事を命じる。
先ず琴、阿古屋は心静かに奏でる。次に三味線、そして最後には胡弓。景清との出会いを吟じながら見事な演奏をします。
演奏を聴き終えた
重忠
阿古屋を無罪放免とお解き放ちを申し渡す。
異を唱える
岩永左衛門に、今の演奏には一つとして音色に乱れが無い。心に嘘いつわりが無いからこそ、美しい音色、真実の音を弾き出すことが出来る、と説明する。深々と頭を下げてお白州を出る阿古屋でした。
【傾城  けいせい】

玉三郎の構成・演出で江戸、吉原随一の花魁(おいらん)の道中から始まりお客を迎え、口説きと別れまでを春夏秋冬の四季に分けて踊る格調高い舞踊劇です。
【傾城城・国を滅ぼしてしまうほどの絶世の美女、後に花魁の事を言う。
【観終わって】
珍しく生協で玉三郎さんのチケットの申し込みが有りましたので直ぐに申し込みましたが、抽選モレ。
諦めていましたら、再度抽選が有り、最初にモレた者には、当選の資格が有るとのこと。
玉枝ちゃんの所で申し込んで貰い24日(日)のチケットをGET出来ました。
一人で行くので、確りと時刻表、下車駅(去年の顔見せの時には一つ駅を乗り過ごしました)を確認、【祇園四条、6番出口のエレベーターで地上へ。】
開演が15時でしたので、自宅を13時に出て、余裕を持って南座に着きました。
琴・三味線の演奏は舞台で拝見したことが有りますが胡弓(こきゅう=小ぶりの三味線のようなものをバイオリンの弓と良く似たもので弾く)の演奏は初めて目にしました。
玉三郎さんは養父、守田勘弥さんから、9歳で琴を14歳で三味線を18歳で胡弓の手ほどきを受けられて、一日も欠かさず練習に打ち込んだと言われています。特に、三味線・胡弓は左利きの玉三郎さんにとっては中々辛い練習であったそうです。
”ひたすら、耐える我慢を覚えないと、前には進めない”心にしておられた言葉だそうです。
六世、歌右衛門さんの独壇場出会った阿古屋を平成九年一月からは唯一、玉三郎さんだけが演じることが出来ているそうです。
千秋楽の日とあってでしょうか、鳴り止まぬ拍手に、二度のカーテンコール。スタンディングオーベーションでお開きとなりました

画像は、番付表から頂きました。 3時開演途中30分の休憩も有りましたが終演は5時30分。
短い時間でしたが、美しい舞台と素晴らしい演奏に酔いしれた2時間でした。

ロビーで展示されていました、【美の世界展】伺いましたら、動画・フラッシュ撮影でなければ、カメラはOKとのことでしたので、ほんの一部パチリしました。他の階にも沢山の展示が有ったそうですが、なんせ、南座には近代的なエスカレーターやエレベーターはなくて狭い階段のみ。私は自分の席が有った二階だけで、他の階は遠慮しました。
5月6日  團菊祭  松竹座
【團菊祭】昭和11年、九代目市川団十郎と五代目尾上菊五郎を顕彰する公演として、初めて東京歌舞伎座で興行。
戦争なども有り途中、中断したが 昭和52年からは【五月恒例歌舞伎】として定着しました。2010年東京の歌舞伎座建て替えの為、大阪で引っ越し公演を行うようになり今回は3回目。これからも大阪へ根付かせたいと、関係者の声。
私は2010年の第一回と今回、2回目の観劇です。前回(2010年5月9日)同様夜の部を観ました。
【絵本大功記】尼ケ崎閑居の場
主君、小田 春永を討ち取った武智光秀(市川 團十郎。主君殺しのせがれの行為を批判する母、皐月(さつき:中村 東蔵)は、城を出て尼崎の庵に移ります。光秀の子、十次郎(尾上 菊之助)は真柴久吉(尾上 菊五郎)との戦いに初陣する挨拶の為に祖母(皐月)を訪ねてくる。母、操(みさお:中村 時蔵)許婚、初菊(中村 梅枝を前にして、謀反人と蔑(さげす)まれても光秀は父、十次郎は命を捨てる覚悟で挨拶をする。未だ祝言の盃を交わしていない初菊には他家に嫁いで欲しいと願っている。
皐月は十次郎と初菊に盃を交わさせる。陣触れの太鼓に駆けだす十次郎。泣き崩れる初菊に、今交わしたのは別れの水盃だったと話す皐月。
そこへ、一夜の宿を願ってこの庵に逗留している旅の僧、(実は真柴久吉)が現れる。光秀はこの僧の正体を見破って庵の裏の竹藪で作った竹槍で人の気配のする部屋へ障子越しに竹槍を繰り出す。苦しみの声と共に現れた,母、皐月。唖然とする光秀に主殺しの光秀の母としてこのような報いを受けるのは当然、系図正しい武智の家を穢した人非人(けがしたにんぴにん)と皐月は光秀を厳しく諌める。神社仏閣を破壊する等、悪逆の限りを尽くす春永を討ったのは天下の為であると語る光秀。其処へ戦いに加わっていた十次郎が傷ついて戻ってくる。介抱する初菊。光秀は声を荒げて戦況を報告しろ!と十次郎を怒鳴りつける。劣勢になっている戦況を報告、”父上、一刻も早く本国へ落ち伸びて下さい・・”と虫の息の下で”願う十次郎。
今わの際に臨んでもなお、父への孝行を尽くす十次郎の姿に、母、皐月は光秀をさらに諌め、十次郎と共に息絶える。
流石の光秀もこらえきれずに落涙。其処へ陣羽織に着替えた旅の僧、実は久吉が現れる。
斬りかかろうとする光秀に”山崎で雌雄を決しよう”と申し出る久吉。光秀は後日の決戦を約して竹藪へ姿を消す。
【観終わって】私が今まで観たドラマでは明智光秀は、正義に篤い篤情家だと、良い人・・として描かれていた。
今回描かれている光秀は、堪え切れない物を抱えている武将だとしても、余りにも家庭人として欠落した人非人として描かれています。傷ついた十次郎を怒鳴るのは、”喝を入れて、生気を取り戻させる”逆療法だったのでしょうか?
團・菊の顔合わせ、としては私には物足りない一作でした。
【高杯  たかつき】 盃を載せる足付きの台。
太郎冠者(たろうかじゃ 坂東 亀寿とチョット足りない次郎冠者(市川 海老蔵を連れて花見に来た大名(片岡 市蔵)。次郎冠者が盃を地面にそのまま置こうとしたのをたしなめて、高杯を買いに行くように命じる。高杯がどのようなものかを知らない次郎冠者は太郎冠者に聞くが要領を得ない。そこで大声で”高杯買いましょう、高杯買いましょう”と声を張り上げて歩いて行く。
其処へやってきた高足売り  たかあしうり”(尾上 松緑。ひとつからかってやろうと、”高杯売りましょう”と高下駄を見せて、これが高杯だと説明を始める。
二つ有るのはお客用と御主人用。鼻緒は遠出する時に持ち運びがしやすいように・・と上手くだまして売りつける。
上手く手に入れたとホットした次郎冠者は高足売りと一緒にチビリチビリと徳利の酒を飲み干してしまって眠り込んでしまう。
いつまでも帰らない次郎冠者を探しに来た大名に起こされた次郎冠者は”見つかりました”、と高足に盃を載せて差し出す。”自分をからかっているのか・・”と大名に扇で叩かれた次郎冠者は思わず高下駄を履いて千鳥足で動き回る。
【観終わって】
1933年に初演の高杯。ハリウッド映画のタップダンスの魅力を真似て高下駄でカタンカタンとタップを踏む。
痩せて一回りも小さく感じられた海老蔵の見事な高下駄タップのチャリ舞に笑いと拍手が送られました。眼光の鋭さが売り物の海老蔵が表情のない次郎冠者を見事に演じましたが、配役名がなければ、海老蔵と気付かなかったなあ・・と思いました。
【ゆうれい貸屋】風風亭一迷 ふうふうっていっちめえ(山本 周五郎)作。
評判の腕を持つ、桶職人の弥六(板東 三津五郎)。だが、母の死後、働き詰めに働いても将来に望みが見えない生活に総てを投げ出して酒におぼれる毎日。そんな弥六を思う妻、お兼(上村 吉弥)と、さとす長屋の大家(市川 團蔵)。
私がいるから、夫が立ち直れないでいる・・と決心したお兼は家を出る。
その夜、弥六の許に現れた飛びっきり良い女、恋人に裏切られて死んだのに、怨みが強くて成仏できない元、辰巳芸者の染次のゆうれい(中村 時蔵)。昼間、ケンカの仲裁をしていた弥六を見ていてその気っぷに惚れて一緒になりたいと言う。
その美貌に惚れた弥六は喜ぶが、唯一つ、自分は凄い嫉妬深いから、浮気をしたら、のろい殺す、それと、お念仏、特に鉦(かね)をたたくと、成仏してこの世界から消えてしまうと話す。昼間は一歩も外へ出ずに夜になると灯りがつき活気付く弥六の家を見て長屋の連中は不思議がる。そんな弥六に店賃稼ぎにと染次が言い出した【ゆうれい貸屋業】。
世間には怨む(うらむ)気持ちを持っている人が沢山いる。そこへ仲間のゆうれいを貸し出してその怨みを晴らしてやってお代を貰うという商売。。
商売は順調に繁盛するが、”生きていればこそ、浮かぶ瀬もある”と余りにも多い怨みの心に述懐するゆうれい。
供養してくれるものがいて、怨みも晴れたので成仏出来たから・・とあの世へ帰って行くゆうれい達。
弥六も自分の命の有る内に何か甲斐あることをしよう・・と考えを改める。すぐに男に言いよる癖のある女のゆうれいが弥六に言い寄ってきた現場を見た染次は、弥六を約束通りなぶり殺すと詰め寄る。怖くなった弥六は、仏壇から鉦を取り、たたき続ける。
染次は姿を消してしまう。 九死に一生を得た弥六は大家や長屋の住人に両親の為と、染次を成仏させてやる為に般若心経を唱えてほしいと頼む。皆で経を唱える所へ様子を見に戻ったお兼。大家に説かれて詫びをいれる弥六。
【観終わって】いなせな職人ぶりとやけ酒をあおって不貞寝する両極端の三津五郎。
弥六をデレデレの骨抜きにする美人芸者の染次と人間世界の怨みを晴らす仕事につくが、依頼人の強欲さに人間嫌いになったと泣き出すゆうれい。 ゆうれいの喜怒哀楽をコミカルに描いている。
山本 周五郎が二葉亭 四迷(くたばって しめえ)をもじって付けた作者名。
この作者の本は好きで結構読むが、こんな作品もあったのかと、驚きです。
5月2日映画の連続梯子観賞をしました。  ナンバパークスシネマ
お仕事が少なくなりましたので、機械も一台ずつの出勤。私は2日から5連休を貰えることになりました。
高校時代、映画研究クラブにいた親友から帰阪しているので、思いっきり映画を見まくりたいので一緒にどう?と久しぶりに連絡がありましたので一日フルに利用して観ることにしました 。
第1番目2番目の間は大急ぎで室を移動。第2番目と3番目の間は1時間以上有りましたので食事を済ませ屋外のベンチでおしゃべり。でも映画を見終わると二人とも口数少なく、家路へ。まあ、翌日もお休みでしたので、こんな無茶も出来たのですが・・・でも見ごたえのある映画ばかり3本も一日で観られるなんて、シネマ劇場さまさまです。
それぞれの画像はNET検索して拝借しました。
第一番目  【わが母の記】  9:50〜12:00  シネマ7
脚本・監督:原田眞人 原作:井上靖  役所広司・樹木希林・宮崎あおい・南 果歩
【あらすじ】小説家の伊上洪作は、幼少期に兄妹の中でひとりだけ両親と離れて、土蔵に住むおばあさんに育てられた。自分の親は【土蔵のばあちゃん】と子供たちにも話し、自分は母に捨てられたという想いを抱きながら生きてきた。父が亡くなり、残された母の暮らしが問題となり、長男である伊上は、妻と琴子ら3人の娘たち、そして妹たちに支えられ、ずっと距離をおいてきた母・八重と向き合うことになる。老いて次第に失われてゆく母の記憶。その中で唯一消されることのなかった、真実。初めて母の口からこぼれ落ちる、伝えられなかった想いが、50年の時を超え、母と子をつないでゆく──家族だからこそ、言えないことがある。家族だからこそ、許せないことがある。
【観終わって】捨てられたと思い込んでいたのは本当は洪作の将来を考えて学問が出来る環境の親類に預けたことや、中学生のころに初めて書いた詩がどこにも見当たらなかったのは、母が大事に大事に小さく折りたたんでお守り袋に入れて肌身離さず持っていたことがわかると、自分の間違った思い込みを恥じ、認知性になっても、自分への大きな愛情を持ってくれていた事をしり、大きな背中へ母をおんぶするのでした。東京の住まいでは一日もよう居らず、孫娘のあおいと軽井沢の別荘で過ごす。でも最後はやはり伊豆の家に帰る。臨終を知らせる姉の電話に”最後までお世話をして看取ってくれたねぎらいとお礼のの言葉”を伝える洪作。姉の号泣が耳に残ります。
第二番目  【アーティスト】  12:00〜1350  シネマ2
【あらすじ1927年のハリウッド。サイレント映画の大スター、ジョージ・ヴァレンティンは、ふとしたハプニングで女優志願のペピー・ミラーと出会う。やがてジョージは、オーディションを受けにやってきたペピーと再会。その日を境にペピーはエキストラから少しずつ上位の役をものにする。1929年、トーキー映画が登場。しかしサイレントにこだわったジョージは、自ら監督・主演した映画が失敗し、失意のどん底に。一方、ペピーは大スターになっても、ジョージを思う気持ちは変わらなかった。
【観終わって】サイレント映画には台詞がない、観客は感情を心で感じるのだ”
オーデションを受けに来たミラーに何かポイントを一つ・・と鼻の横にチャ−ムポイントのほくろを付けることを教えてやるジョージ。見事合格したミラーは女優への階段を見事登って行く。一方ジョージはどん底に落ち込み自分のフィルムを燃やして煙の中で倒れてしまう。いつも一緒の犬は懸命におまわりさんを現場へと案内してきて、その気転でジョージは危機一髪助かる。ジョージを愛しているミラーは、彼の面倒を見ようと自宅へ連れ帰る。” 施しを受けるのは嫌だ!”と家を出るジョージ。
二人での競演を申し出るミラー。二人は台詞のない見事なタップダンスで絶賛を浴びる。
第三番目  【HOME愛しの座敷わらし】  15:10〜17:10  シネマ5
父・晃一(水谷豊)の転勤で、東京から岩手の田舎町へと引っ越してきた高橋一家。晃一がよかれと思って選んだ新しい住まいは、なんと築200年を数える古民家だった。東京での暮らしに馴れていた妻の史子(安田成美)は、突然の田舎暮らしに不安と不満でいっぱい。老人ばかりの近所付き合いにも乗り切れないでいた。中学2年の長女・梓美(橋本愛)にも古民家はただのボロ家にしか見えず、転校先の学校生活を考えると心が落ち着かない。転校前の学園生活でも人間関係で悩んでばかりだったからだ。また、同居する晃一の母親・澄代(草笛光子)は田舎住まいには支障を語らないものの、最近、認知症の症状が始まりつつある様子。唯一、古民家への転居を楽しんでいる小学4年の長男・智也(濱田龍臣)は、治りかけている喘息の持病を今も史子にひどく心配され、サッカーをやりたくてもやれずにいる。五者五様、どこかぎくしゃくしている一家をやんわりとまとめたい晃一だったが、家族の不平不満をなかなかうまく解消することはできない。た。そんなある日、不思議な出来事が高橋家に起こり始める。誰もいない場所で物音が聞こえたかと思えば、囲炉裏の自在鉤(じざいかぎ)が勝手に動いたり、掃除機のコンセントがふいに抜けたり、手鏡に見知らぬ着物姿の子どもが映ったり
【観終わって】こんな田舎へ何故来たのかと不満ばかりの家族に”家の中心に炉が有ってその周りに家族が集まって
私はその中心で燃える火になって皆を温め、輝かして行きたい”と話す晃一だが、気味が悪く、馴染めない史子は盛岡市内に家を探そうとする。パニクる母史子と姉梓美。だが、心の素直な人にしか見えない”座敷わらし”は澄代にはわかるし智也は友達になる。髪の毛をやわらちゃん結びにして着物を着た男の子、小さなお社の前で仲良く遊ぶ智也とわらし子。たまらなく可愛いシーンです。澄代はその座敷わらしを子供のころに亡くなった弟のろくちゃんだとなつかしがる。次第に田舎の生活にも慣れ、座敷わらしとも仲良くなった一家だが左遷されていた晃一に本社への転勤命令が出て、梓美はせっかく仲良しになれた級友に又帰っておいでねと見送られ、わらし子のためにリック一杯に詰めたおもちゃを置き土産に出発する。途中立ち寄ったレストラン、ウエイトレスは何故か、”6人様”ですね、と。イスにはあのお土産を詰めたリックが。わらし子ちゃんも付いてきたようです。
4月2日  シネマ歌舞伎  泉鏡花作 【高野 聖 こうやひじり】  ナンバパークス
この映画は舞台公演の収録ではなく、ロケーション撮影も加えて、新たに舞台上で撮影したものです。  (暗い森の中で、蛇が出てきたり、雨のようにヒルが降りかかってきたり、恐ろしい場面もありました)2,3,4月と泉鏡花作品の3部作の最終作品です
【あらすじ】若き修行僧(中村獅童)が飛騨から信濃へ抜ける旧道の山道の中で蛇やヒル、サルなどに襲われながらやっと見つけた孤家(ひとつや)で宿を乞いますが、現れた妖艶な女(坂東玉三郎)は初めは断りますが、思い直して、やさしく了承します。汗を落とすために、滝からの水で出来た川の洗い場へと案内する女。ヒルに傷ついた僧の背中をタオルでは痛いだろうと自分の体を優しく擦りよせて洗う女。僧は慌てて川から上がって自分の煩悩を抑えます。
夜になります。鳥や獣たちが女の許に集まる異様な光景に一心に経を唱える僧でした。
翌朝、女に見送られて旅立つ僧に女の所の小間使いの老人は彼女の身の上を話します。
 彼女は医師の一人娘であったのだが、大雨で滝があふれ彼女一人だけを残して両親は死んだ事。
彼女に近寄る男はすべて彼女の妖術で獣にされてしまう事。
坊さんのように、そのままの体であの家から離れられたのは初めてです、と。
僧は経文を唱えながら信濃への道を急ぎます。
【観終わって】 今回は先に観た二人の友人から、”綺麗で観て良かったよ”と聞いていましたし、中村獅童さんが相手と言うことにも興味が惹かれていました。玉三郎さんの洗い髪風の妖艶さは、いつもながらに美しい凄さを感じます。若い獅童さんも負けずにぶつかっていって生真面目な修行僧を演じておられました。森の中でのヒルが降ってくるシーンは気味悪くて下を向いてしまいました。異界の姫、海底に嫁いだ美女そして今回の洗い髪の妖婦。お化粧も一番ナチュラルなのに、とっても美しい。
年を感じさせない熟女の美しさに見とれました。
【泉鏡花】(1873-1939)
「高野聖」「婦系図」「滝の白糸」などの作品で知られる作家・泉鏡花(本名鏡太郎)は1873年(明治6年)11月4日、金沢市下新町に生まれました。
父は加賀藩に仕えた彫金師、母は役者の娘でした。そのような両親を持ち、文化と工芸の町・金沢で育ったことが泉鏡花のあの華美な世界を生み出すのでしょう。
子供の頃、彼は母や近所の女性たちからたくさんの草双紙を読んでもらっていたといいます。
その母が9歳の時難産のため死亡。その1年半後に松任の摩耶夫人像(お釈迦様のお母様)に詣でたのを契機に、彼の頭の中で亡き母と摩耶夫人が重なり、生涯続く摩耶夫人信仰が始まったといわれます。
北陸英和学校を経て、石川県金沢専門学校(後の四高)の受験に失敗したあと上京、1年ほどお寺を巡ったりしながら放浪生活を続けたあと、尾崎紅葉の門下生となり小説家になるべく修行を重ねます。
父が亡くなった為金沢に戻りますが、それから彼は金沢で執筆を続けます。「滝の白糸」の名前で現在でもよく舞台で上演されている。
1900年には問題作「高野聖」を発表します。この耽美な世界は彼の心の中にある女性への、信仰にも似た憧憬とその裏返しの妖しさとが微妙に織り合わされています。
1907年には「婦系図」の連載開始、1910年には「歌行燈」を発表。彼の代表作となりました。
大正時代になってからも1913年「夜叉ヶ池」1917年「天守物語」1919年「由縁の女」といった作品を発表し続けました。
昭和になってからも年に1作くらいずつ作品を出し続けましたが、1939年(昭和14年)9月7日肺腫瘍のため逝去。享年65歳
生誕百年にあたる1973年に金沢市が「泉鏡花文学賞」を創設しました。 (グーグルより抜粋)
3月9日  戦火の馬  スティーブン・スピルバーグ監督   ナンバパークス
【あらすじ】
貧しい農夫、酒が手放せないし、足も不自由。
地主の嫌がらせに負けじと競売の値段を釣りあげられた一頭のサラブレッドを買う。なけなしのお金で農耕馬を買う予定だったのに・・・妻に叱られるが息子のアルバートは白い靴下を履いて鼻筋には白いダイヤマークのあるこの馬にジョーイと名付け、自分が世話をしたいとお願いする。
どうしても言うことをきかないジョーイに先ずフクロウの鳴き声で自分との絆を覚えさせる。何度も何度も教えて、やっとガレキだらけの土地を耕すことも覚えさせる。その時第一次世界大戦が起こり、ジョーイは軍用馬として英国軍に連れて行かれる。アルバートは父が前の戦争で貰った【大将のリボン】を着けてやってほしいと少将に頼む。
激戦の地へ送られたジョーイは死と隣り合わせの過酷な運命に翻弄されるが、ボスの座を争った黒毛の馬と共に色々な急場を潜り抜ける。有るときは、弟を守る為に二頭の馬と共に脱走を試みた兄弟が水車小屋へと隠すジョーイと黒毛。
探しに来た兵に見つかり、二人は銃殺されるが、一足先に自分の部屋に二頭をかくまう少女。スッカリ気に入って二頭の世話をする少女。でも祖父は乗馬を許さない。やがて祖父はお誕生日のお祝いにと、亡き母が使っていた鞍をプレゼントする。”丘の上まで行ったら引き返すんだぞ”
喜んで丘へ駆けのぼった孫娘。いつまでも戻らない孫娘を探しに行った祖父が目にしたのは、丘の向こうで駐屯していた兵隊。
娘と馬は奪われてしまう。
ジョーイのところへ近づきたいと年齢を偽って軍に志願したアルバートは、独ガスにやられて目が見えなくなり治療を受けている。
そこへ、体中に傷を負った馬が運び込まれてくる。ひどい破傷風にかかっているから、射殺しかないと判断する軍医。
思わずアルバートはフクロウの鳴き真似をする。馬の耳がピクッと動く。もう一度フクロウの鳴き真似。馬はアルバートのところへ駆けつける。
”僕のジョーイです。白い靴下を履いていて鼻筋には白いダイヤマークがあって・・・””ちがう、この馬は脚も顔も真っ黒だ”
汚れているんでしょう、洗ってくれませんか?泥まみれの馬の脚を洗う、白い靴下が現れる、真黒な顔を洗うと白いダイヤマークが。
たしかにジョーイでした。
戦争が終わり、馬は一般人に払い下げられることになる。仲間がアルバートにお金をカンパしてくれる。
競売に出されたジョーイ
また例の地主が値段を釣り上げる。その時一人の老人が途方もない値段をつけてジョーイをセリ落とす。
”それは僕の馬なんですが・・”  
”いや、この馬は孫娘の馬だ”  ”僕が育てていたのを軍に引き取られて、やっと会えたんです”
老人はポケットから、古びたリボンを取り出す。”そのリボンは父が前の戦争の功労で貰った大将のリボンです”
老人はアルバートに馬を返してくれました。”きっと、お金を貯めて・・”老人は手を振りながら行ってしまいました。
真っ暗な夜道を馬を連れた人影が近づいてきます。母親と必死に抱き合うアルバート。父親はそっとその二人を見ています。
【観終わって】
食事会が早く終わったので、観たいと思っていた【戦火の馬】を見に行きました。(16:00〜18:30)
前に来た時にパンフレットを貰っていたのですが、前宣に違いのない素晴らしい映画でした。
馬がここまでの演技をするのか、それともCGなのか。今までスピルバーグ監督の作品はチョット苦手意識が有って敬遠していましたが、この作品には心をわしづかみにされたような感動を頂きました。
もちろんハンカチは必要でした。
原作は1982年にイギリスで出版された小説。詩情豊かな様々な物語が一頭の馬を介して紡ぎだされます。
戦争場面には顔をそむけたくなるようなシーン、ドキットなるシーンも有りましたが、最後の ジョーイとアルバートのシーン、フクロウの鳴き声に耳をピクットさせるシーンには、昔の映画館なら拍手喝さいを贈っていたことでしょう。
素敵な映画に出会えました。美味しい物を頂いて感動の映画を観て・・・忙しい時にお休みを取らせてもらいましたが、素敵な休暇日を過ごせました。
2月26日 シネマ歌舞伎  泉鏡花作 「海神別荘
2月5日 ひまわり
1970年に公開された名作がニュープリント&デジタル・リマスタ―版として復活して公開されています。
(古い作品のフィルムを焼きなおして、更に、ネガ自体が経年変化等で劣化していることがあるので、そのような色調の変化や傷などを修復しながら変換することを「デジタルリマスター」といいます。)
【物語】ミラノの理髪師、ジョバンナ(ソフィア・ローレン)と陽気な配管工、アントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)は甘い楽しい恋人。アントニオに召集令状が来た時”結婚すれば12日間の新婚休暇が貰える。この間に終戦になれば・・”と結婚するが、戦争は終わらない。次に二人はアントニオが刃物を持って、ジョバンナを追い回す・・という狂言を演じるが見破られてアントニオはソビエト戦線へ。戦争が終わっても戻らないアントニオを見つけるためにアントニオの写真を持ってソビエトへ向かうジョバンナ。
広大なひまわり畑を車窓に見ながら、必死にアントニオの足跡を追うが、何の手がかりも得られない。
そんなジョバンナの姿を見て逃げ出す若い娘。必死に追いかけて住まいへ乗り込むがそこには可愛い子供達がいる。
極寒の戦場で気を失って死にかけていたアントニオを見つけて自宅へと運び介抱してくれた娘と結婚していたのである。(アントニオは記憶喪失で自分が誰なのかも忘れていた)
工場から帰るアントニオを駅まで迎えに行く妻。そのあとを追うジョバンナ。列車から降り立ったアントニオと、ジョバンナは見つめあう、がジョバンナはそのまま、列車に飛び乗ってミラノへ帰る。荒れた生活を送るジョバンナ。
苦しむアントニオ。一度ミラノへ戻ってジョバンナと話をすることを妻に許してもらったアントニオが突然訪ねてくるが、今は新しい生活に入っているとアントニオに会おうともしないジョバンナ。列車ストのために止む無くミラノに足止めを食ったアントニオが再びジョバンナを訪ねてくる。
今の生活を捨てて、二人で新しい生活に踏み出そうと力強くジョバンナを抱くアントニオ。その時隣室で赤ちゃんの泣き声がする。
”名前は?”・”アントニオ”二人は昔の思い出は捨て去って、今与えられている生活を生きるしかないと運命を決める。
ミラノ駅。列車で去るアントニオを万感の想いで見送るジョヴァンニ。この駅から出征する夫を見送ったのが運命の分かれ道となったのである。
もう再び会うことはないであろう。遠ざかる列車の姿が溢れる涙で霞んでいった。
【観終わって】
映画のbackに流れるヘンリーマンシーニの曲がとても懐かしく心地よかった。
ガラガラの館内、100人ほどのシートに3割程度の観客。私同様シニアチケットの人が殆どだったですが、私の一つ離れた席には父と息子さんが、また反対側には若い娘さんが。その彼女が私以上にウルウルして、ハンカチで目を拭っておられるのが印象的でした。
万博の年の公開の映画、最新の技術力で、まっさらに生まれ代わって、十分に感動を与えてくれました。
アントニオを探し求める旅の車窓にうつる画面一杯のひまわり畑、はかない気持に明るい未来の暗示?とはいきませんでした。
ソフィアローレンの元気の良いミラノ娘・ソビエトのお役所に絶対に生きているから消息をくれと詰め寄る意地の強さ、駅で確かにアントニオを見たのに、うれしいのに、ヤット見つけたのに声も掛けずに列車に飛び乗って大泣きするジョバンナ、見事な役者さんです。
1月22日 シネマ歌舞伎を観てきました。 泉鏡花作『天守物語』 ナンバパークスシネマ
『あらすじ』
姫路城の天守閣の最上階には、この世とは別の世界が有り、美しい異形の姿をしたもの達が住んでいます。侍女たちが、客人を迎えるためにと、天守の上から釣り糸をたらして、地上の美しい花々を釣り上げるところからこの物語は幕を開けます。
天守の中央には、異界の象徴『獅子頭の主』が大きく飾られています。
天守夫人富姫(玉三郎)を姉と慕って亀姫(中村勘太郎)朱の盤坊(中村獅童)を供に訪ねてきます。
楽しい団らんの後、富姫は姫路城主の鷹を捕えて亀姫にお土産として持たせます。其の夜、城主の鷹を逃がした罪で切腹を命じられた、鷹匠、図書之介 (たかしょう ずしょのすけ 市川海老蔵)が城主の鷹を探して天守に現れます。
図書之介をみつけたは天守夫人富姫は”此処は人間の立ち入る境界ではない”といさめてすぐに追い返します。地上へ戻る途中、手燭(てしょく)の灯りを消してしまった、図書之助は再び天守へ戻ってきます。
図書之介の美しさに心を奪われた富姫は姫路城主秘蔵の兜(かぶと)を与えます
その兜を観た地上の人達から賊と疑われた図書之助は度天守に逃れてきます。
富姫図書之介をかくまって獅子頭の中に入ります。
討ち手に傷つけられた獅子の目、其の中に隠れた二人も視力を失います。
其処へ獅子頭を彫り上げた名工、近江の丞桃六(おうみのじょう とうろく=片岡 我當)が姿を見せ、獅子の目を修すと富姫・図書之介二人の目にも光が戻り歓喜に震えながら抱きあう二人でした。
『観終わって』
泉鏡花の現実を飛び越えた美しい幽境の世界と其の世界へ迷い込んだ人間との織りなす得も言われぬ世界が描き出されています。
名女形玉三郎さんに全身のエネルギーを振り絞って、体当たりの演技をして行く、市川海老蔵、中村獅童、中村勘太郎若手俳優達。圧倒される妖艶な美しさ、不思議な世界を堪能させてもらいました。
2月に『海神別荘』、3月に『高野聖』の二作が上演されることになっているそうです。